ベンチャー企業への転職
店長となった店で、私は順調に売り上げを伸ばしていきました。
1年で3倍、3年で5倍の実績を作り何度も表彰されていたころに、知人から兵庫県のベンチャー企業で働かないかと誘われました。
美容と健康がテーマの企業だったため、すぐに興味が沸きトップと面談することになりました。
面談の日「和歌山だけでええんか?日本全国見たくないか?」と言われました。
和歌山以外に住んだことがない私には、とても魅力的な言葉だったため、二つ返事で転職を決めました。
しかし、ここで親は大変大きなハードルでした。
ちょうどお見合いをした直後で(前述の彼とは結婚式一週間前に破談しました。この話はまた書きます)親が大変乗り気だったからです。
しかし、私は結婚するよりも全国を見ることに興味があり、父親にちゃぶ台をひっくり返されながらも、断固として兵庫県行きを望み、結納を取りやめてもらうことにしたのです。
ついに、自分自身がパワハラ上司に
転職したベンチャー企業では、営業兼販売インストラクターとして代理店の開拓や説明会で商品のデモンストレーションなどを行いました。
本当に全国47都道府県を周り、商品の良さをアピールし続けました。
収入は店長をしていたころから比べると、1/5になりましたが、毎日が刺激的で予想ができない展開。日々充実していました。
とにかく必死で、寝るのも惜しんで仕事をして会社を大きくするために働き続けました。
ひたすらがむしゃらに働くことが私の取柄とばかりに、休むことも忘れて働き続けました。
その結果、26歳の時にゼネラルマネジャーとして九州地区を「統括」という形で、担当することになりました。
部下は約50名。20歳から60歳近いベテランもいる販売員部隊の管理育成が仕事でした。
そこで、私はパワハラ上司となりました。
とにかく、指示をしても全く違うことをする人
何度言っても、同じことを失敗する人
うその報告をする人
とにかく、どうやって教えればいいのか、どうやって管理すればいいのか迷いに迷いました。
アパレルでの店長時代は、部下とは毎日顔を合わせて話ができたので、あまり苦労が無かったのです。
「売上上げて、みんなで良いお給料もらおう!」と声を掛けながら、予算達成という同じ目標に進むことができました。
年上の部下のアドバイスを聞き、じっくりと話し合いながら進めることができていました。
ところが、このベンチャー企業の時代は、部下と言っても社員として雇っているわけではなく、それぞれが個人事業主の集団で、「組織」としての上下の形はあっても、仕組みがきちんと整っていませんでした。
しかし、私が頂いた社長からの指示は、半年かけて「九州の売上を上げること、販売インストラクターを倍にすること」だったのです。
とにかく、社長から飛んでくる指示をみんなに聞いてもらうために、私の言葉は非常に強いものになっていきました。
結果をきちんと出さない人には、「本気じゃないから数字が出せない」と言い訳も聞かずに詰めました。
打ち合わせ中に寝ている部下には、「気合いが足りない!!」と叱りました。
「いい?どういうことであれ、返事はイエッサーだから」と相手の話を全く聞き入れようとはしませんでした。
部下たちが、うわさで「鬼」と呼んでいることを聞きながらも、「鬼で十分。売り上げを上げないと、みんなのためにならない、私は間違っていない」と思って、自分に言い聞かせ続けました。
そうして、半年が経ったころ、大事にしていた部下が一人辞め、二人辞め、そして連絡が全く取れなくなる。
そうして、一番近くにいた部下が10万円貸してほしいというので、貸した途端、一切の連絡が取れなくなりました。
見えていなかったのは、自分自身のこと
本当にショックでした。そして、ようやく目が覚めました
自分がしてきたことは、以前に受けたパワハラと全く同じではないかと悟ったのです。
まさか、自分が人にするようになるなんて。
私自身が一番傷つき、一番やりたくなかったことをしてしまった。
自分がやったことに落ち込んで、何も手がつかなくなりました。
当時、病院にこそ行きませんでしたが、おそらく何かの心の病になっていたと思っています。
夜、全く眠れなくなりました。
毎晩、落ち込んで、何度も何度も自分のやっていたことを後悔して考えてばかりいました。
そのうち、朝起きられなくなり、、昼間は全く仕事ができなくなりました。
そのかわり、夜になると目が冴えて同じことを考えていました。
いっそ、会社を辞めようか、和歌山の実家に戻ろうか・・・そんなことを毎日毎日考えていました。
そのうち、誰とも話がしたくなくなり、一切携帯電話に出なくなりました。
話す意欲がなくなっていました。
そんな状態が一週間ほど続いた時に、社長から「福岡から戻ってこい」と連絡が入りました(当時、会社指示で携帯電話は365日24時間ONにして、いつでも出るようにしていました)。
その言葉にようやく私は声を挙げて泣きました。
「やっと、解放される」
その後、本社に戻ってから一か月くらいかけて、ゆっくりゆっくり自分を取り戻していきました。
社長は何もかも理解されていたようで、何も小言を言うこともなく、私の体が準備できるまで待ってくれました。
心を入れ替えて、再スタート
3か月ほど経って、もう一度九州に乗り込みました。
そうしたら、残っていた部下たちが、私が戻ってきたことを喜んでくれたのです。
本当に嬉しくて、ただ感謝しかありませんでした。
そこから、部下の話を聴くことをとにかく最優先しました。
時間がある限り、とにかく笑顔で最後まで聴いて、そして「そうなのね。それで、どうしたいの?」と相手の意向を尋ねるようにし、意向を聞いたらそれをできるだけ叶えられるようにサポートしました。
その後の半年で、販売インストラクターは100名以上になり、売り上げは億をこえました。
成功の秘訣は人間関係にある。
人間関係が良くないと組織は腐る。
組織をぶっ潰した経験があるからこそ、強く思っています。
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